チルドノート

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リンゴナルド

長かった。まる一ヶ月、うんざりした気分で仕事をしていた。先月半ばには、仕事を辞める旨を、会社に伝えたが、人員の確保もあるから、最低でも来月いっぱいまで居てくれと言われた。

桐生は、苦痛だった。仲が良いと思っていた職場の連中も、もう辞める人だから、という感じで距離をとっていた。

それも今日で終わる。待ち望んだ月末を迎え、あと数時間でこの苦行から解放される。

「桐生、おまえ今日までなのか」

マクドナルドの紙袋をさげた松岡が、桐生に話しかけた。

「ええ、まあ」

「辞めてもまだ仕事する気ないんだろ?」

「ええ、もう少し勉強したくて」

桐生は冷めた目で答えた。勉強はむろん口実だ。しかし、そうでも言わなければ、また辞めるタイミングを失うに違いない。

「まあ、いいよ。メシにしようや」

松岡は、マクドナルドの紙袋をそっと置いて、角材の上に腰かけた。昼はひとりで食べようと思っていた桐生も、仕方なく隣に座った。

いたるところに木材が積み上げられた工場の中では、他の作業員たちも、思い思いの場所で弁当を広げていた。扉が大きく開け放たれた工場内は、風通しは良いが、薄暗く、天窓から差し込む光の筋に、細かい木クズが無数に漂っていた。

大学で不祥事を起こし、退学になった桐生は、この仕事を、設計事務所を経営している父親から紹介された。家族には、まだ辞めることを伝えていない。伝えても反対されるのは目に見えているからだ。桐生は、こんな所で一生働く気にはなれなかった。

ふと目を上げると、松岡の足元にハンバーガーの包み紙が3つ転がっている。そして最後のチーズバーガーを2口でたいらげた松岡は、紙袋の底を探ってマックフライポテトを取り出した。桐生はそれを横目で見ながら、食べかけのコンビニおにぎりをビニール袋に戻し、ポケットからスマホを取り出した。

「俺の親父は、山を見る仕事してたんだよ」

松岡が唐突に言った。

「林道を車で巡回してるだろ。そしたら途中で車を停めて山に入っていくのよ。運転手を残して」

急に話し始めた松岡に、桐生は戸惑いながら頷いた。

「山に入って何してると思う?」

桐生は黙っていたが、松岡は気にするふうでもなく話しを続けた。

「まつたけを取りに行ってるんだよ」

「まつたけ?」
桐生は思わず聞き返した。

「そう。車止めさせて山の中にまつたけ狩りに行くんだ。仕事中に、平気で5時間くらい帰ってこないらしい」

松岡は、フライドポテトで油まみれになった指を丹念に舐めながら言った。

「所長だから何やってもよかったんだよ。でも、たまにその部下がウチに来て、お袋に愚痴ってたよ。所長をなんとかしてくださいってな」

そう言って松岡は笑った。いつもハンバーガーとポテトを黙々と食べるだけの男が、いつになく饒舌だ。もしかして今日が最後だから気を使ってくれているのだろうか?まさか、と桐生は思った。

「俺は子供のころマクドナルドを食べられなかったんだ」

松岡がまた口を開いた。今度は貧しかった子供の時代の話だろうか。桐生が無言で頷くと、松岡が続けて言った。

「貧乏とかじゃないんだよ。金はあった。でも、親父は食わしてくれなかったんだ。俺が欲しがるものならなんでも、それこそファミコンからパスポートまで買ってくれる甘い親父だった。だけどマックだけは食わしてくれなかった」

ファミコンとマクドナルドに、それからパスポート。いくつもの疑問が頭をよぎったが、桐生は、黙ってうなずくことにした。

「匂いが強烈なんだよな。俺は甘やかされてたから、いつも駄々こねてたんだ。マック食いたーい、マック買ってくれーってな」

「そしたら、ある日、親父は俺にこう言ったんだ。俺には、お前をちゃんと大人にする責任がある。育てる義務がある。だから、お前が自分で判断できる歳になったら、好きなだけ食っていい。でも今はダメだ、とさ。ガキ相手にそんな説明しても、納得するわけねえんだけどな」

そこまで話すと、松岡はポテトをひと掴み、桐生に差し出した。

「で、納得しなかったガキの俺に、おふくろはどうしたと思う?」

桐生はポテトを受け取りながら首を振った。

「リンゴだよ」

「リンゴ?」
桐生は思わず聞き返した。

「そうリンゴだ。五所川原をしってるか?青森県のリンゴの町だ。おふくろの実家はそこでリンゴ作ってるんだが、しょっちゅう送ってくるから、ウチにはリンゴが一年中あった。だから、俺がマック、マック、言い始めたら、おふくろはリンゴをむくんだ。生だと飽きちまうから、煮たり、焼いたり、アップルパイを作ってくれたりな」

「はあ」

桐生は、当惑していた。アップルパイを焼いてくれる母親は、素直に素晴らしいと思う。マクドナルドを子供に食べさせない父親も、ある面では正しいのかも知れない。しかし、松岡はこの話でいったい何が言いたいのだろうと桐生は思った。

「だからもう、リンゴは一生分食ったよ」

そう言って松岡は、桐生の肩に手を置いた。

「桐生、この話を聞いても、気持ちは変わらないか?やっぱり辞めるのか?」

「はい」
桐生は即答した。

どうやら松岡は、自分を引き止める役を、誰かから指示されていたようだ。聞いてもいない珍妙な話にも、それで合点がいった。そう考えると、慣れない話を続けた松岡のことを、桐生はすこし気の毒に思った。

そして、松岡はそれっきり黙ってしまった。ふて腐れた様子で、もう目を合わせようともしない。

工程表を見て思い出したのだが、この後、のこり5時間は、松岡と一緒に作業をしなければならない。ここで働いた半年の中で、いや、人生の中でも、もっとも長い5時間になるかも知れない。