チルドノート

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セブンスター

沙織はビルの非常階段を、慎重な足どりで一歩ずつ登っていた。ときおり吹くビル風には、歌舞伎町のにおいがした。

「桐生くん、またタバコ吸ってるの?」

沙織はビルの屋上にたどりつくと、タバコをふかしている男に声をかけた。

「タバコは体にわるいよ」

「知ってるよ」

男は言いながら、タバコの煙を細く吐き出した。男の名前は桐生。沙織とは、付き合い始めて3年になる。会社の中では滅多に合わないが、たまにこうしてやって来る。

そこで普段なら、沙織が一方的に話し始めるのだが、今日は桐生の横に座って、静かに隣のビルを眺めていた。

桐生は経験上、黙っているときの沙織は、よっぽど嫌なことか、なにか怒っているときだと知っていた。そこで今日は、こちらから仕掛けることにした。

「今まで黙ってたけど、僕は嵌められたんだ」

桐生は、低い声でつぶやいた。

「どういうこと?」

沙織が桐生の目を見ていった。

「あれはまだ僕が学生だったころかな。テレビを見ていると、革ジャンを着た金髪の外人が、うまそうにタバコを吸っていたんだ。それがカッコよかった。笑うかもしれないけど、それがタバコに手を出したキッカケなんだよ」

「もう、今どきカッコわるいよ」

沙織は眉間にシワを寄せて言った。

「わかってる。時代に逆行してるのは十分承知しているんだ。でも、知ってると思うけど、タバコってのは中毒性がある。ニコチンが切れると禁断症状が現れて、吸わずにはいられないんだよ」

「それでもやめられるハズだよ。営業の河野くんもやめたって言ってたよ」

沙織はペットボトルの水を飲みながらいった。

「違うんだ。キミはなにも分かっちゃいない。昔のテレビではタバコのCMをガンガン流していたんだ。これも例外じゃない」

「やめる気ないってことだね」

沙織は手にしたペットボトルのキャップを締めてから言った。

「そういう問題じゃないんだよ。僕は被害者なんだ。20年まえはタバコを吸わせるために大金が投じられた。テレビCMがバンバン流れていたんだ。キミがいま手にしているペットボトルは、どこのメーカーか知っているのか?そいつは僕が吸っているこれと同じ会社が作っているんだぞ」

桐生はタバコのフィルターを親指で弾いて、灰を落としながら続けていった。

「つまり僕らは騙されたんだよ。巧妙なイメージ戦略にまんまと嵌められたんだ。政府もグルになってる。明らかに害のある物だったら、なぜ野放しにしている? 売るのを禁止すればいい。そうだろ? そうすれば僕の意思なんか関係なく、吸うことはできない。僕だってね、こんな物は吸いたくはないんだよ…」

「その理屈、いつ考えたの?」

沙織が笑いながら言った。

「…居酒屋の和民が、わたみん家に変わった頃だな」

「ほかの人に言ったことは?」

「前の会社の社長の奥さんに言ってやったよ。筋金入りの嫌煙家だったからね」

「それで、なんて言ってた?」

「このロジックを崩せると思うのか? 一言も反論できなかったよ。そのかわりボーナスの査定が最低になった。卑怯なやり口だ」

「あなた、ホントにバカね」

「そんなバカとなんで付き合ってるの?それとも今の話で愛想をつかした?」

「違うの」

「なにが?」

沙織は桐生に真剣な眼差しを向けて言った。

「今日、病院に行ったの。…あなた父親になる自信ある?」

桐生は沙織を見返した。

「もう、タバコやめられる?」

「もちろん」

桐生はそう言うと、タバコの箱をギュっとまるめてビルの上から放り投げた。