チルドノート

短編小説やグーグル先生に叱られたコンテンツを保管しています。

お花見

「桐生くん、これ上げてくれる?」

桜子は厨房でふき掃除をしている桐生に声をかけた。桐生は振り返って桜子が抱えた大皿を受け取ると棚の上に持ち上げた。

「ありがとう。桐生くん背が高いから助かるわ」

桜子は笑顔で礼を言うと手の甲で額の汗を拭った。閉店したあとの厨房はさっきまでの喧騒の余韻でひどく蒸し暑い。女の人には苛酷な仕事だよな。桐生は桜子の細いからだを見ながらそう思った。

「ねえ、桐生くんはお花見とか行ったりする?」

「花見、ですか…」

桐生は戸惑いながら首を振った。花見など何年もいっていない。たしか大学1年の終わりに行ったきりだ。もうそんな時期になったのか。桐生は大学時代のことを思い出して暗い気持ちになった。

桜子は桐生を見上げながら続けて言う。

「桐生くん、桜の花びらは下をむいて咲くって知ってる?」

「…そうなんですか」

言われてみれば桜の木を上からのアングルで撮った写真は見たことがない。そういう訳だったのか。なぜ今まで気付かなかったのだろうと桐生は思った。

「そうなの。だから桜は見上げるのがいちばん綺麗なんだよ」

桜子は言うと桐生に身を寄せて、さりげなく手をとった。

「桜子さん、ぼくに彼女がいるの知ってますよね?」

「知ってるよ。だから彼女さんも一緒に行こうよ」

桜子は屈託のない笑顔でサバサバと言った。

「いや、いま海外に出張中なんです」

「海外出張?なんか男のひとみたいだね」

「そうですね。実は僕も詳しくは知らないんですよ」

「ふーん、じゃあ明日空いてるよね。コレに住所、書いてあるから。6時だよ。絶対来てね」

そう言って桜子は住所を書いたメモ紙を桐生の手に押しつけてホールへ小走りにかけていった。

参ったな。桐生は仕事仲間の誘いを断ったことはない。桜子もそれを知って声をかけたのだろう。断る理由もないので、桐生はメモに書かれた住所をスマートフォンへメモした。



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桜子の教えてくれた住所は大通りを一本隔てた入り組んだ住宅街にあった。辺りは民家ばかりで公園らしき場所は見当たらない。桐生はもう一度グーグルマップを見直そうと鞄を探った。

「桐生くん、こっちこっち」

声のした方を振り向くと、私服に着替えた桜子が手招きしていた。タイトなTシャツにクロップドパンツという出で立ちだった。

桐生は桜子の後について建物の隙間へ入っていった。私設の幼稚園のような敷地をさらに奥へと進むと、たしかに大きな桜が枝を伸ばしていた。

「ほら、ちょうど満開だよ」

桜の木にあまり詳しくない桐生にも、それがかなり古い巨木だということが分かった。四方を建物に囲まれているので大通りからは見えなかったのだ。

桜の木の下にはリラックマがプリントされたシートが広げられている。藤のバスケットと丸い座布団まで用意してあった。

やはり二人きりだった。しかし桐生はそこにはあえて触れずに、買いすぎたビールを入れたビニール袋を置くと、座布団のうえに腰をおろした。

桜子はさっそくバスケットからグラスをふたつ取り出して缶ビールのフタをあけた。泡を立てすぎないようにグラスを傾けて注ぐと、一方を桐生へ手渡した。

「それじゃ、乾杯しよっか」

桜子はコップをかるく触れ合わせるとビールを一口飲んで、ふっと息をついた。

「ところで、どこの敷地なんですか?」

桐生は先刻からの疑問を口にした。桜子は当然というようにふたつ頷いてから話し始めた。

「そこの建物の庭だよ。身寄りのない子どもたちを引取る施設なの。ボランティアだけどあたしの本業なの。だから出入りも自由というわけ」

桐生は重い話しを聞いてしまったと思った。職場のひとからそれらしい噂は耳にしていたが、実際に本人の口から聞いてしまうと、なんと答えて良いか分からず桐生は口ごもった。

しかし、桜子はその話しには触れようとしなかったので、桐生はホッとして話題を切り替えた。職場の罪のない噂話しで盛り上がると時間はまたたく間に過ぎていった。気がつくと4つあったビールの6缶パックをふたりであらかた飲み尽くしていた。

桜子が用意してくれたバスケットの中身も食べ終えて、桐生は引き上げのタイミングをうかがっていた。桜子と話すのは楽しいが、これ以上一緒にいると、今まで通りの関係でいるのが難しくなりそうだった。

桜子が言った。

「こうゆうところに来る子達って、世の中のこと何も知らないの。男の子たちは悪い大人の使い捨てにされて、女の子たちは風俗っていうのがお決まりのパターンね…。あたしはその子たちを助けたいの。そのためにお金も必要なの」

桐生はそれを聞いて桜子がなぜあんなに働いているのか分かった。稼いだ給料のほとんどはここに住む恵まれない子どもたちのために使っているのだろう。

でも…、しかし…、桐生は複雑でまとまりのない思いを抱えながらつぶやいた。

「でも、人は好きなように生きるんじゃないかな」

「どうゆう意味?」

桜子は不思議そうに桐生を見て言った。

「桜子さんの気持ちは分かるけど、あまり理解しようとしすぎるのも良くないんじゃないかな。どんな環境で育っても、その人の人生はそのひと次第だから。自分らしさを取り戻したくて自発的に戦争へ行くような人もいたりするし…。つまり人は好きなように生きていくってことかな」

桐生は慎重に言葉を選びながら言い終えると、シートの上の花びらに視線を落とした。

その瞬間、桐生は頬に風圧を感じて目の前が霞んで見えた。自分の髪を伝って頬を流れる液体と、桜子の震える手ににぎられたコップを見て、桐生は顔にビールをかけられたのだと知った。

桜子は蒼白な顔で目に涙を滲ませて桐生を凝視している。桐生は落ち着いて鞄からハンドタオルを取り出すと、ぬれた前髪と襟元に飛び散った水滴を拭った。そして、持ってきたビニールの袋へビールの空き缶を入れ、ついでにバスケットのなかも綺麗にしてフタを閉めた。

「じゃ、そろそろ帰ります」

桐生は言うと、鞄を手にとり肩へ掛けながら立ち上がった。桜子もあわてて立ち上がろうとしたが足がふらついてうまく立てない。桐生が腕をとって支える。

「桐生くん、ごめんなさい…」

桜子は喉を詰まらせながらそう言うと、桐生の胸に顔をうずめて激しく泣きじゃくった。

桐生は呆然と立ち尽くしていた。想いは遠く離れた彼女の沙織に及ぶ。今ごろ彼女はどこで何をしているのだろう。いつものことだが連絡もメールも一切してこない。桐生は衝動的に桜子の腰に両手をまわし強く抱きしめた。Tシャツの裾がめくれ上がって素肌へ直に手が触れる。

早春の風が淡いピンクの花びらを舞い上げてふたりの周りに散った。桜子のまっすぐな黒髪からは甘い香りがした。