チルドノート

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遺産

黒いスーツの男の人が浜辺を歩いていたんだ。

オレンジ色ににじむ海から風がひゅうと吹きつけていた。入り江には船を吊り上げる錆びたクレーンが大きな影を伸ばしている。男の人はスマートフォンを取りだして水平線にカメラを向けたけどすぐにポケットに戻してしまった。

港の風景は年々変わってる。波うちぎわだったところはコンクリートで固められて、波止場には大きなテトラポットが投げ込まれている。その内側にはエビを養殖するカゴが沈んでいるんだよ。

子供のころ遊んだ岩場には、海水を汲み上げる黒いホースがヘビみたいにとぐろを巻いていた。昔と変わらないのは駐車場に咲いてる名前も知らない小さな野草だけ。

男の人は砂に半分埋まったペットボトルを寂しそうに見ていた。それから浜に残った自分の足あとをたどって家に帰って行ったんだ。


***


古い民家が密集したすきまの曲がりくねった道を男の人は歩いてた。人とすれ違うのがやっとの細い道は40年前から何ひとつ変わっていない。だけどあのころ長かった道のりも今じゃ1分とかからない。おじさんになった男の人は古い門をくぐって勝手口から家に上がっていった。

「どこ行ってたの」

声のした方を見ると男の人のお姉さんが眉間にシワを寄せて立っていた。そしてなぜか明るい口調でこう言ったんだ。

「猫はあなたが引きとることになったからね」

それを聞いて男の人は驚いた。お姉さんはその様子を見て微笑んでいる。

「ウチで猫の世話なんてできるわけない」

男の人は途方にくれた声で言った。するとお姉さんは悲しそうなフリをして言ったんだ。

「それは残念ね。引きとらないと遺産はもらえないわ。遺言書に書いてあったの」

「遺言書?」

「そう。遺産を相続するにはモモの世話が条件なのよ」

モモっていうのは男の人のお母さんが飼っていた猫の名前。お母さんは、おととい亡くなって今日がお葬式だったんだ。これから火葬にするんだけど、こんなときに遺産の話をするなんて、お姉さんは非情な娘だよ。男の人は苛立った様子で首をふった。お姉さんの薄情さに怒っていた。だからこう言ったんだ。

「棺桶に入れたらどうだろう」

「あなた、モモを焼く気なの!?」

「冗談だよ」


***


火葬場から戻るとお家はきれいに片付けられていたよ。葬儀屋さんはさっさと祭壇をしまって撤収していたんだ。2つだけあった花輪は小ぶりな菊の花束にして置いてあった。

ひとりで住むには広すぎるこの家でお母さんは猫のモモと二人きりで住んでいたんだよ。お父さんは10年まえに他界しちゃってたんだ。

男の人は家にあがって猫を探してた。お姉さんとはもう会いたくなかったから、猫を引き取って自分もさっさと帰ろうと思ったんだね。

モモはすぐ見つかったよ。すごく大きい猫だから探すまでもなくね。大きさはふつうの猫の3倍くらい。手足を伸ばして測ったら1メートルもあった。毛並みも良くたんねんに手入れされた茶色と白のしましま模様は上品に輝いていた。

男の人はモモがあんまり大きいから、どうやって車まで運ぼうか悩んでしまった。するとモモはスッと立ち上がって玄関までゆっくり歩いて行ったんだ。まるでもうこの場所にいる必要はなくなったというように。そして男の人にふりむくと目を細めてノドをゴロロと鳴らしたんだ。

モモと男の人は細い小道を並んで歩いた。モモは見かけによらず軽快なリズムで歩を進めていたよ。車に着くと男の人はドアを開いてモモを乗せたんだ。最初はトランクに入れようと思ったけど窒息するかもしれないから後部座席に抱えて乗せたんだよ。

モモは最初、座席のクッションに戸惑っていたけど、すぐに手と足をからだの下に折りこんでコンパクトに丸くなった。モモは想像以上におとなしくて男の人は運転中に何回も後ろを振り返っていた。


***


車は辺りが暗くなったころ男の人の住むマンションに到着した。人通りもまばらになっていたけど、この猫を連れているのを見られたらちょっとした騒ぎになりそうだった。

男の人には隠密理にモモを自宅まで運ばなきゃいけない理由もあった。目立たつ騒がず、こっそり運ぶにはどうしたらいいだろう。そこで男の人はモモを背中に背負っていくことにしたんだ。

むかしお母さんがモモが病気になったとき病院まで背負って行ったことがあるっていう話を思い出したんだ。

確信はなかったけれど、男の人はしゃがんでモモに背中を向けてみた。するとモモはすっくと立ち上がってその背中に乗ったんだ。前足をちゃんと肩にかけて、お腹をピッタリと背中につけて。

男の人がやわらかい肉球の前足をつかんで中腰になるとモモは後ろ足を腰のベルトにかけた。前傾姿勢を保っていれば余裕で歩けることがわかったよ。

車のカギはあとでかけることにして、男の人はモモを背負ったまま向きを変えて、後部座席のドアを足でかるく蹴ってしめた。それから急いで駐車場を抜けてエントランスまで歩いていった。住人とすれ違えばひと目でバレるかもしれないけれど、遠目にはまさか猫を背負っているとは気がつかないよ。

男の人はエレベーターの前に来ると▲のボタンを押した。そして祈るような気持でランプを見つめたんだ。その間もモモはしっかりと背中に張りついて大人しくしている。重さも気にならない。その気になれば近所のコンビニまで往復できそうだ。

エレベーターが到着してドアがすーっと開いた。誰も乗っていないと思ったら隣りの奥さんが出てきた。男の人は動揺を悟られないように完璧な笑顔であいさつした。

「こんにちは」

隣りの奥さんも会釈を返して微笑んだけど、なかなか降りようとしない。どこか変だと勘づいたのかも。だけど違和感の正体は分からずに足早に去っていった。

やった。男の人は心の中で快哉をあげた。そして弾むようにエレベーターへ乗りこんで11階のボタンを強く押したんだ。

スルスルと閉まっていくドアの向こうから足音が聞こえたけど間一髪でトビラは閉じた。そして2人を乗せたエレベーターは低いモーター音をあげながら上昇していったんだ。

モモは肩にかけた肉球にちからを込めてしかりつかまっていた。ずいぶん慣れている様子から、あるいは普段からこうしていたのかもしれないね。

奇跡的に誰にも見咎められず自宅にたどり着くことが出来たよ。男の人はホッと胸をなでおろして玄関のカギを開けたんだ。


***


「パパおかえりー。ママー、パパかえってきたよー」

玄関を開けると6歳になる娘が駆けよってきた。男の人は片手を上げて笑顔を向けると、しゃがんで背中から猫をおろしながら言った。

「今日から我が家に住むモモだよ」

モモは背中からヒラリとフローリングに着地した。そして鼻を上に向けてキョロキョロしながら匂いを嗅ぐ仕草をしていた。

ふだんは物怖じしない娘も後ずさった。モモの大きさに度肝を抜かれたんだよね。すると急にシンとした玄関の様子に異変を感じたお嫁さんがパタパタとあらわれた。そして娘とさほど変わらない大きさの猫を見て口をあんぐりとあけた。

「その猫、お義母さんところのモモじゃない」

「そうだよ」

「気持ちはわかるけど飼えないわよ」

「なぜ?」

「ペット禁止なのよ。このマンション」

「そうか、知らなかったな」

「うそ。知ってて連れてきたんでしょ?」

「モモはペットじゃない。家族だよ」

お嫁さんはグルっと目を回して天を仰いだけど笑って頷いた。そして嬉しそうにモモの背中を撫でる娘の姿に目を向けながら男の人に聞いた。

「それにしても大きいわね。どれくらいあるの?」

「8000万さ」